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不動産投資の歴史!江戸から現代の借家事業を知り成功に繋げる

2023.06.20 (最終更新:2026.06.26)

コラム記事97のメイン画像 不動産投資

今の時代は会社員や公務員などといったサラリーマンでも不動産オーナーとなり、賃貸業を営むことができます。今回の記事では、こうして不動産賃貸業ができるようになった歴史的背景を江戸時代から遡って見ていきます。借家の始まりは江戸時代からと言われています。 江戸時代にはどんな借家が誕生して、その後どのように変化していったのかを解説していきます。 歴史から不動産賃貸業を知ることで建物の構造の変化や、不動産に関わる制度について理解することができます。この記事で借家事業の歴史を学び、今後の戦略を立ててみてはいかがでしょうか。


江戸の借家

江戸の長屋イメージ

※江戸の借家をイメージしたAIによる生成画像

 

江戸時代になると賃貸物件にあたる「長屋」が誕生しました。

この長屋を使っての借家が現在の不動産賃貸業の始まりと言われています。

 

 

(1)江戸の土地

江戸の土地の6割は武士、2割は寺社が所有していて町人は残りの2割の土地に住んでいました。

 

1721年(享保6年)に8代将軍の徳川吉宗の時代に行われた調査では、江戸の人口は100万人を超えたと言われ、そのうちの約半分の50万人が町人でした。

この町人たちが江戸の土地の2割という狭い土地で暮らしていたのです。

 

 

(2)町人の土地の所有

江戸では貨幣経済の発達により裕福な町人が台頭し、彼らは土地の所有も認められるようになりました。

 

土地を所有するようになった町人たちは、自分の店と住居を構えていました。

町人が所有を許された土地は「沽券地(こけんち)」と呼ばれ、売買が許されていました。

沽券地の「沽」は売買、「券」は証文を意味し、現在の「不動産権利証」にあたります。

 

町奉行所には、沽券に記された土地の所有者や面積が記された「沽券図」(現在の「公図」)が保管され、不動産取引の権利が守られていました。

こうして正式に、不動産の売買や賃貸借の取引が行われるようになりました

 

土地を所有している町人たちは店を構え、商売をしていましたが、商人として働くほかに「地主」として土地を活用する者もいました。

地主は所有する土地に住まず、家守に土地を貸して地代を取っていました。

 

土地を借りた家守は1棟の建物を区割りした集合住居形式の長屋の管理を任され、商売をする町人や庶民たちに貸しました。

これが現在の借家経営の始まりです。

 

 

(3)江戸時代の長屋

長屋は1棟の建物を複数の住居に区割りしたもので、現在の集合住宅の原型です。

長屋の中央には共同のトイレ(雲隠と呼ばれていた)や井戸が配置され、風呂はありませんでした。

 

表通りに面した部分を「表長屋(おもてながや)」と言い、主に日常生活に必要な品物を売る商人が借りて、商売をしながらそこで生活していました。

通りに面さない場所には、長屋を小さく区割りした「裏長屋(うらながや)」が建てられ、行商人や日雇い、物を作る職人などが居住していました。

 

 

(4)家守の仕事

長屋の地主は所有する土地に住まずに、家守に長屋の管理を任せていました。

家守は、長屋の管理を行うことで地主から報酬を得ることができました。

 

家守が行う主な長屋の管理の仕事は、家賃の集金、長屋の修理の指図などでした。

ほかにも店子(たなこ)の身元保証や迷惑行為の対処、争い事の仲裁、道路の修繕、店子の病気やけがの救済、冠婚葬祭の世話など、様々な役目を担っていたようです。

店子が犯罪や事件を起こせば、身元保証人として町の奉行所に同行して連帯責任を取らされました。

「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」と言う慣用句は、ここに由来しています。

 

様々な仕事を行う家守の収入源は、地主からもらう長屋の管理に対する報酬のほかに、長屋の雪隠に溜まる糞尿を、江戸近郊の農家に肥やしとして売ることができて、これも家守の大きな収入源の一つとなっていました。

 

 

明治の借家

1868年(慶応4年)12月には、元号が明治に変わり、明治政府が誕生しました。

明治時代になり天皇中心の中央集権体制の国家を作るための様々な制度の改正が行われました。

 

 

(1)明治の土地

不動産投資の基本となる土地のルールは、明治時代に作られました。

1873年(明治6年)公布の「地租改正条例」を機に、現在の取引に繋がる以下の制度が整備されたのです。

 

土地の区分と権利証の発行:国有地と民有地が分けられ、所有者には「地券」が発行されました。

所有権と納税義務の確定:民間による測量と役人の検査を経て、一つの土地に一人の地主を特定しました。その結果、近代的な土地所有権が認められたわけです。

地番と公図の誕生:土地ごとに登記上の「地番」が割り振られました。また、現在の法務局が扱う「公図」の原点となる図面も作成され、土地の形状が法的に定義されています。

 

 

(2)明治時代の借家経営

1876年(明治9年)に、東京・京橋の借家人を募集する広告が「東京曙新聞」に掲載されました。

さらに明治時代中期になると、借家の規模や件数が拡大していき、個人仲介業者や、土地・建物の売買を行う不動産業者が誕生しました。

 

 

(3)明治時代の長屋

明治時代初期の借家は、江戸時代と変わらずほとんどが長屋でした。

徐々に2階建ての長屋も建てられ、トイレも各戸に設置されるようになりました。

長崎や横浜などの旧外国人居留地には、外国人向けの洋風造りの借家が建てられていました。

 

1910年(明治43年)11月6日には、日本初の木造積層共同住宅の「上野倶楽部」が上野公園に隣接して建てられました。

5階建てで洋風の外観に共同の浴室があり、入居者は日本人だけでなくロシア人やフランス人もいました。

これが日本初の賃貸アパートです。

 

 

大正の借家

1921年(大正10年)に現在の借地法・借家法の原型となる法律が制定されました。

これにより、入居の事実があれば登記に関係なく地主に対抗できるようになり、借地人は安心して暮らせるようになりました。

 

 

建物の構造の変化

軍艦島

写真提供:(一社)長崎県観光連盟

 

1916年(大正5年)、日本で初めて鉄筋コンクリート造の三菱鉱業の社宅となる共同住宅「炭鉱住宅」が、長崎県高島町の端島(軍艦島)に建てられました。

端島は南北約480m、東西約160m、周囲約1.2kmの小さな島です。

限られた土地の島内では、住宅を高層化する必要があり、鉄筋コンクリート造はこの立地に適していました。

 

また、1923年(大正12年)、関東地方を襲った「関東大震災」は東京を中心に大規模な建物の倒壊と火災をもたらしました。

この災害で、木造や明治時代に導入されたレンガ造りの家屋は大きな被害を受けましたが、鉄筋コンクリート造の家屋は倒壊しませんでした。

これにより鉄筋コンクリート造は、耐震や耐火構造が優れていることが証明され、建物の建設促進をもたらすことになりました。

 

同年には、当時の東京市営アパート「古石場住宅」が借家としては初めて鉄筋コンクリート造で建てられました。

この頃の借家はまだほとんどが木造の一戸建てでした。

 

 

昭和の借家

不動産投資の歴史を紐解くと、現代の私たちが利用している投資の仕組みは、昭和時代の社会情勢を背景に形作られたことがよく分かります。

当時の流れを簡単にまとめると以下の通りです。

 

(1)昭和初期~戦前・戦後:深刻な住宅不足の発生と、不動産業者の急増

(2)高度経済成長期:圧倒的な土地需要の増加と、住環境の近代化

(3)昭和後期:賃貸経営のビジネス化と保証制度の誕生

 

現代のサラリーマンが安心して不動産オーナーになれるのは、この時代に賃貸経営がビジネスとして確立されたためです。

昭和の借家事情がどのように進化してきたのか、具体的な変遷を見ていきましょう。

 

 

(1)昭和初期〜戦後:深刻な住宅不足と不動産業の幕開け

アパートの登場:財団法人同潤会による代官山の文化アパートや、大塚女子アパートが完成。

戦後の住宅難:1945年の終戦後、戦災と資材不足に加え、疎開者の帰還で部屋代が高騰。

農地改革と税制:不在地主などの小作地を国が買い上げて解放。また固定資産税が誕生。

 

昭和初期から戦後にかけて、日本の住環境は激動の時代を迎えました。東京では近代的な借家が急増したものの、終戦直後は深刻な住宅難に陥ります。

同時期に農地改革が実施され、多くの小作地が解放されるという大きな変化もありました。

 

さらに、庶民金庫による住宅資金の融資や、現在の固定資産税にあたる税制度もスタートしています。

こうした動きを背景に不動産業者の数が一気に増えましたが、中には悪質な業者も現れ、トラブルが社会問題化する側面も持っていました。

 

 

(2)高度成長期:土地神話の誕生と住まいの近代化

土地神話の広がり:神武景気以降、企業や個人の土地需要が急増し、価格が大幅に上昇。

設備と権利の進化:借地・借家人の権利が拡大。3LDKの普及やガス湯沸かし器が登場。

税制改正の影響:1969年、長期保有土地の譲渡所得税が軽減され、宅地供給が促進。

 

1954年の神武景気以降、日本は本格的な高度経済成長期へと突入していきます。

マイホームやオフィス用地を求める声が爆発的に増え、「土地こそ資産」という強烈な土地神話が社会に定着しました。

それに伴い、住環境の近代化も一気に進みます。住宅公団が3LDK型を採用してリビングルームが流行し、家庭用ガス湯沸かし器も普及し始めました。

 

また、借り手の権利を守るための法改正も行われています。さらに、国は宅地の供給を促す目的で税制を改正し、土地の長期保有者に対する税負担を軽減する措置を打ち出しました。

 

 

(3)昭和後期:賃貸経営のビジネス化と保証制度の誕生

建物の規格化:住宅メーカーが規格型の賃貸アパートやマンションの販売を開始。

専門業者の誕生:賃貸建物を専門に扱う建設業者が現れ、不動産投資が安定事業として認知。

サブリースの登場:空室リスクを減らす「一括借り上げ」や「家賃保証」のシステムが誕生。

 

昭和50年代に入ると、現在私たちがよく目にする賃貸ビジネスの原型が完成します。

住宅メーカーが規格化されたアパート商品を発売し、賃貸経営を専門とする建設業者も登場しました。

全国的な道路網の整備が進んだことで、貸店舗などのロードサイドビジネスも活発化しています。

これらを契機として、賃貸経営は一部の資産家だけでなく、手堅い事業として広く社会に認められるようになりました。

 

さらに昭和60年代には、大家さんの空室不安を解消するため、家賃保証や一括借り上げといった画期的な制度がスタートしたわけです。

 

 

平成の借家

1989年(平成元年)12月29日に日経平均株価は38,915円87銭の史上最高値を付けたあと、1991年(平成3年)2月から急落を始め、バブル経済の崩壊が始まりました。

その間に不動産価格も大きく値を下げ、「土地神話」は崩壊しました。

 

 

(1)節税目的としての借家

土地税制は、強化されると同時に、様々な税負担の軽減措置や特例などの優遇措置も設けられました。

その中で、主に「相続税」「地価税」「固定資産税」の優遇措置の適用を受ける節税目的で、所有地(遊休地)に借家を建てて、土地を活用することが盛んに行なわれました。

 

 

不動産投資で相続税をおさえる方法については以下の記事に詳しく記載されています。

 

不動産投資で相続税をおさえる方法とは?現物分割で相続の手間を減らそう

不動産投資で相続税をおさえる方法とは?現物分割で相続の手間を減らそう

 

 

(2)ゼロ金利政策での借家経営

バブル崩壊後の平成初期、都内では企業の倒産が相次ぎ、1993年のオフィス空室率は9.1%まで悪化しました。

このデフレや金融不安を払拭するため、日銀が実施したのが「ゼロ金利政策」です。

当時の流れを箇条書きで整理します。

 

●1999年:日銀が実質金利をゼロにする「ゼロ金利政策」を導入

●2000年:同年8月まで同政策を実施し、一旦解除

●2001年:景気不安からゼロ金利政策を復活し、量的緩和も追加

 

こうした低金利環境が続いた結果、金融機関からの借入金利が劇的に低下します。

融資を受けて遊休地に借家を建てても返済負担が軽く済むため、土地資産を活用した賃貸住宅経営は高収益事業になりました。

 

 

(3)定期借家制度

「特定優良賃貸住宅制度(特優賃)」により、2000年(平成12年)、新借地借家法の趣旨をさらに進展させる目的で、期間の満了によって契約が終了となる、従来のような「契約の更新」を認めない定期借家制度がスタートしました。

これにより、比較的面積が広く良質な賃貸住宅を中堅所得者に向けた供給の促進が期待されました。

この認定を受けた入居者は、所得に応じて国や各自治体から家賃補助を受けることができます。

 

 

(4)高齢者向け優良賃貸住宅制度

2001年(平成13年)には「高齢者の居住の安定確保に関する法律」が施行され、同法に基づき、民間活力の活用で良質な賃貸住宅の供給促進を図る「高齢者向け優良賃貸住宅制度(高優賃)」が誕生しました。

これにより、高齢者向け賃貸住宅を提供する事業者は各種の支援措置を受けることができます。

 

 

令和の借家

ここ数年で人口減少、少子高齢化が本格的に到来したことにより、将来的に人口や世帯数が大きく減少していくことが予想されます。

このような状況で賃貸業を行うには慎重に戦略を検討する必要があります。

 

 

(1)令和の賃貸市場

令和5年の住宅・土地統計調査(総務省統計局)によると、全国の現住居以外に貸家用住宅を所有する世帯は、約128万世帯です。

そのうち、空き家になっている貸家を所有する世帯は、約15万5,500世帯で、その比率である空き家世帯率は12.1%になります。

引用:令和5年住宅・土地統計調査 調査の結果「住宅及び世帯に関する基本集計

 

また、令和2年の賃貸住宅市場の動向と将来予測(展望)調査によると、貸家用住宅を所有する世帯が多い都道府県は、東京都の18万8,100世帯を筆頭に、大都市部に集中しています。

空き家率を見ると貸家を持つには需要のあるエリアの選定が重要であることがわかります。

所有世帯が多く、空き家率が低いのは東京、神奈川、埼玉、福岡などの大都市です。

引用:賃貸住宅市場の動向と将来予測(展望)調査

 

 

(2)エリア選定の重要性

企業の「脱首都圏」の動きは一部で落ち着きを見せていますが、福岡への企業転入は引き続き高水準を維持しています。

帝国データバンクの最新調査によると、2025年に地方から福岡県へ本社を移転した企業は合計70社に上りました。

ここで特に注目すべきは、転入企業の約88.6%を売上高10億円未満の中小企業が占めているという実態です。

 

多様な成長企業が次々と集積するこの環境は、手堅い単身者向けの賃貸需要を長期的に支える強力な基盤として機能します。

手頃な価格帯で堅実な利回りを狙える福岡の不動産市場は、将来の資産形成を目指すサラリーマン投資家にとって非常に魅力的な選択肢となっています。

引用:福岡県・本社移転企業調査(2025年)| 帝国データバンク[TDB]

 

オフィスが福岡に移れば、それに伴い住宅の需要も増していきます。

住みやすく、住み続けたいまちとしても人気の福岡で不動産賃貸業を始めるのは一つの戦略になりそうです。

 

 

成長都市「福岡」の不動産投資については以下の記事で紹介していますのでぜひご覧ください。

 

成長都市「福岡」の不動産投資が失敗しにくい6つの理由【2025年度】成長都市「福岡」の不動産投資が失敗しにくい6つの理由【2025年度】

 

 

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